41回目の斎王まつり
晴天に恵まれ、しかもNHK大河ドラマ「光る君へ」効果もあってか
おそらく過去最高の来場者数を記録したのではないかと思うほど賑わっていました。
斎宮の地に住む人々の口伝で語り継がれた斎宮跡地
それは昭和45年(1970年)に大型宅地造成計画が持ち上がったことがきっかけで次々と遺跡が掘り出され
発掘調査が進むに連れ斎宮跡の発見へと繋がったのでした。
1983年に地元の婦人会の方たちが「斎王をお祀りしよう」と発案したことがきっかけで、斎王まつりが始まったそうです。
古代伊勢道を歩きながら、斎宮のミニチュアの世界
古代米が作られている田んぼや、ハナショウブ咲く道を歩きながら、マップを見入る。
時間を作って、神宮橋、祓川、竹川の花園まで足を伸ばしたいです。
一日では絶対に足りない、また訪れたくなる斎宮でした。
令和6年6月1日(土曜日)
13時: 禊の儀・・社頭の儀(斎王の森)
斎王群行〜さいくう平安の杜
ライブイベント
19時10分
夜の斎王群行・花火
※斎王市・いつきのみやMARKET同時開催
斎王(さいおう)とは、天皇に代わって伊勢神宮の天照大神(あまてらすおおみかみ)に仕えるために選ばれた、未婚の皇族女性のことです。
この制度は、674年(天武天皇の時代)に始まりました。
天武天皇が壬申の乱で勝利した後、その感謝の気持ちを表すために、大来皇女(おおくのひめみこ)を伊勢に送り、天照大神に仕える役目を与えたのが始まりです。
斎王制度はその後660年以上続き、60人以上の斎王が存在しました。
制度が確立した後の斎王は、「卜定(ぼくじょう)」という占いで選ばれました。斎王は「斎王群行(さいおうぐんこう)」という五泊六日の旅を経て伊勢へ向かい、そこで神に仕える生活を送りました。斎王の任期が終わるのは、主に天皇が代わった時です。斎王は年に三度伊勢神宮に赴く以外は、ほとんどの時間を斎宮(さいぐう)で過ごし、神々を祀る日々を送りました。
日本神話では、倭姫命(やまとひめのみこと)が天照大神の御杖代として、各地を転々とし、竹神社(明和町歳宮)で過ごされたことも記され、最終的に伊勢の国に皇大神宮(伊勢神宮内宮)を創建されました。
斎王まつり
この記事のライター紹介
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WEBデザイナー&カメラマン&ブロガー&ユーチューバー
住まい:三重県志摩市横山展望台から見える伊勢志摩国立公園の中
高校時代からの趣味は写真📷ウェブサイト制作歴 22年
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2000年 ウェブサイト制作事業スタート
2016年 S・O・L・A・R・I・S始動
コマーシャルフォト・ポートレイト撮影
アルバム、フォトブック、パンフレット、名刺など印刷物制作、動画制作、SNS指導もやってます。
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