大若子命(おおわくごのみこと)|倭姫命を支え、阿佐加の荒ぶる神を鎮めた伊勢の神 2026.10.28 大若子命(おおわくごのみこと)|倭姫命を支え、阿佐加の荒ぶる神を鎮めた伊勢の神三重県松阪市には、「阿射加神社(あざかじんじゃ)」という名前の神社が、大阿坂町と小阿坂町の二か所に鎮座しています。両社には、猿田彦大神をお祀りする信仰とともに、倭姫命の伊勢巡幸を助けた大若子命(おおわくごのみこ
倭姫命(やまとひめのみこと)|天照大御神の鎮座地を求めた皇女と伊勢に残る伝承 2026.10.28 伊勢神宮の内宮(皇大神宮)には、皇室の祖神とされる天照大御神が祀られています。その天照大御神をお祀りするにふさわしい場所を求め、各地を巡ったと伝えられるのが、第11代垂仁天皇の皇女・倭姫命(やまとひめのみこと)です。倭姫命の物語は、『古事記』『日本書紀』をはじめ、伊勢神宮に伝わる神道
ホツマツタヱ14綾 代嗣祈る宣言の文 2026.07.20 ホツマツタヱ14綾 代嗣祈る宣言の文では、命の誕生だけではなく、「代継ぎ」という言葉に込められた深い意味が語られています。父母から子へ、そして次の世代へ。命だけでなく、祈りや教え、暮らしの知恵を受け継いでいく姿は、まるで一本一本の糸を織り重ねて布を織るようです。私自身も現地を訪ねながら、
『伊勢』という地名に込められた「妹背(いもせ)の道」 2026.07.15 私たちが親しんでいる「伊勢」という地名。その由来についてはさまざまな説がありますが、古代文献『ホツマツタヱ』には、とても興味深い記述が残されています。ホツマツタヱでは、「伊勢」は『アマテルカミが説かれた『妹背(いもせ)の道』と深く結びついて描かれています。妹背とは、夫婦がお互
ホツマツタヱの伝承がここにありました。花の窟神社 / 三重県熊野市有馬町 2025.11.23 ホツマツタヱ天の巻5 和歌の枕言葉の文にこんな場面があります。二神(イサナキ・イサナミ)はソサ(紀伊半島)へと渡り、 キシヰの国(紀州・和歌山)に宮を築いて、静かにお過ごしになりました。そこでも橘の木を植え、常世(とこよ)の里と称されるようになりました。やがて、長女のヒルコ姫を再び召
讃岐・金刀比羅宮の分社 鳥羽分社 2025.03.22 古事記・日本書紀の原書と言われる神代文字の1つ ヲシテ文字で書かれたホツマツタヱはアメノミナカヌシの天地開闢、クニトコタチから第十二代景行天皇(ヤマトヲシロワケ)までの物語で元々は1~28アヤ(章)までがクシミカタマさんがいつかの未来のために自らが記した代々(よよ)の文です。それは当時 阿波
ホツマツタヱ40文最終章 三重県亀山市にヤマトタケルのお墓がありました。 2024.08.28 ホツマツタヱ最終章 40綾 熱田神 世を辞む文で描かれる能褒野はヤマトタケが足に負傷を負い亡くなった場所です。能褒野神社三重県亀山市田村町能褒野王塚古墳ホツ
三重県志摩市浜島町南張にある楠之宮は三代め斎王・久須姫様の宮 2024.08.15 ホツマツタヱの勉強をしながら伝承地巡りをし始めて2年が経過しました。昨日はホツマツタヱの40文あるうちの38文を投稿しましたがその中には次のような内容が語られています。景行天皇の御代二十年サミヱ 二月四日ヰモノ姫クスコ内親王(御杖代))は、妹背(いせ)の神を祀る斎主と
ホツマツタヱ36綾 ヤマト姫 神鎮む文 (倭姫巡幸と 伊勢神宮創建 千木・鰹木のお話) 2024.06.26 ホツマツタヱ36アヤの『ヤマト姫 神鎮む文』は、垂仁天皇の皇女・倭姫が天照大御神の鎮座地を求めて巡幸し、伊勢神宮創建に繋がるお話です。三重県では飯野高宮神山神社は、三重県松阪市山添町にある神社で、神山山麓に位置します。天照大神を祀る地を探していた倭姫命が一
三重県の熊野市は、初代・神武天皇の上陸地 2024.01.28 ホツマツタヱは天・地・人の三部構成で出来ていまして、今年に入って人の巻に突入することができました。ホツマツタヱ29アヤの”タケヒトヤマト打ちの文”は初代天皇・神武天皇の、記紀(古事記・日本書紀)に伝わる『神武東征』がより詳しく描かれています。三重県熊野市甫母町 国道311号線の楯ヶ崎