あれから1週間が経ち、今年3度目の答志島・・・。今回は電動自転車をレンタルして首塚からスタートしました。
鳥羽城主で九鬼水軍の将として活躍した九鬼嘉隆は、
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで敗れ、答志島の和具に逃亡します。
嘉隆の子・守隆が徳川家康に嘉隆の助命を懇願し許されたのですが、その事を知る事もなく自刃してしまいます。
自刃した際に写真の血荒い池で刃を洗ったとされていて、首部は家康に供されたあと首塚に、胴部は胴塚に葬られました。
日本の歴史にはそういう時代があって沢山の命が失われた事、今の平和な時代から想像もできないような事実があったことが忘れ去られてしまわないように、それぞれの場所には案内板が建てられています。こうしてこれからも答志島を訪れた多くの人に知られていくんですね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/九鬼嘉隆
次は答志島に存在する神社やお寺の紹介に続きます・・・
この記事のライター紹介

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住まい:三重県志摩市横山展望台から見える伊勢志摩国立公園の中
高校時代からの趣味は写真📷ウェブサイト制作歴 22年
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2000年 ウェブサイト制作事業スタート
2016年 S・O・L・A・R・I・S始動
コマーシャルフォト・ポートレイト撮影
アルバム、フォトブック、パンフレット、名刺など印刷物制作、動画制作、SNS指導もやってます。
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