大若子命(おおわくごのみこと)|倭姫命を支え、阿佐加の荒ぶる神を鎮めた伊勢の神
三重県松阪市には、「阿射加神社(あざかじんじゃ)」という名前の神社が、大阿坂町と小阿坂町の二か所に鎮座しています。
両社には、猿田彦大神をお祀りする信仰とともに、倭姫命の伊勢巡幸を助けた大若子命(おおわくごのみこと)の伝承が残されています。
倭姫命が天照大御神の鎮座地を求めて伊勢へ向かったとき、その行く手を阻んだ荒ぶる神がいました。
その神を鎮めたと伝えられるのが、大若子命です。
今回は『皇太神宮儀式帳』『倭姫命世記』『古事記』『日本書紀』、そして『ホツマツタヱ』の関連する伝承を読み比べながら、大若子命と伊勢の古い信仰について考えてみたいと思います。
大若子命とは
大若子命は、大幡主命(おおはたぬしのみこと)とも呼ばれ、伊勢神宮外宮の祭祀を担ってきた度会氏(わたらいうじ)の祖先神とされています。
松阪市櫛田町の櫛田神社の由緒によれば、垂仁天皇の時代、倭姫命が天照大御神を奉じて鎮座地を求めて巡幸した際、大若子命は津周辺から伊勢志摩方面まで道案内を務めたと伝えられています。
倭姫命が伊勢に鎮座地を定めるまで、その活動を支えた人物として語り継がれているのです。
大若子命は、伊勢の土地をよく知り、倭姫命と地域の人々を結ぶ役割を担った存在だったのかもしれません。
阿佐加の山にいた荒ぶる神
松阪市小阿坂町の阿射加神社には、大若子命を祀る境内社「大若子命神社」があります。
その由緒には、次のような物語が伝えられています。
倭姫命が皇大神の御神霊を奉じて諸国を巡行していたとき、安佐賀の山の峰に荒ぶる神がいたため、宇治の五十鈴川上の宮へ進むことができなくなりました。
そこで倭姫命は、大若子命ら三人を朝廷へ遣わし、荒ぶる神のことを垂仁天皇に申し上げました。
天皇は大若子命に命じ、荒ぶる神を鎮めるためのさまざまな贈り物を授けました。
大若子命は、それらを神に捧げ、ついに荒ぶる神を鎮めることができたといいます。
そして安佐賀に社殿を建て、伊豆速布留神(いずはやぶるのかみ)をお祀りしました。
これが阿射加神社の創建に関わる伝承です。
神社の由緒では、この伊豆速布留神を猿田彦大神とし、創建を垂仁天皇十八年四月十六日と伝えています。
ただし、これは神社に伝わる創建年代であり、歴史学的に確認された創建年という意味ではありません。
ここで興味深いのは、大若子命が荒ぶる神を武力で倒したのではなく、贈り物を捧げ、神としてお祀りすることで鎮めたという点です。
荒ぶる神を排除するのではなく、その土地に祀る。
この物語には、土地に古くから存在する神々への畏敬の念が表れているようにも感じられます。
『皇太神宮儀式帳』と『倭姫命世記』の比較
阿佐加の荒ぶる神の物語は、伊勢神宮の古い文献にも登場します。
平安時代初期に成立した『皇太神宮儀式帳』では、倭姫命の伊勢巡幸に関わる「阿佐鹿の悪神」を平定した人物として、阿倍大稲彦命(あべのおおいなひこのみこと)が登場します。
一方、鎌倉時代に成立したと考えられる『倭姫命世記』では、阿佐加の山の峰にいた荒ぶる神を鎮め、社を設けて祀ったという伝承が詳しく語られています。
小阿坂町の阿射加神社に伝わる由緒では、その役割を担った人物が大若子命とされています。
同じ阿佐加の荒ぶる神をめぐる物語でありながら、文献や地域の伝承によって、登場人物や描写に違いがあるのです。
この違いは、伊勢の神宮鎮座伝承が長い年月の中で、さまざまな形で受け継がれてきたことを考える手がかりになります。
どちらか一方を史実と決めるのではなく、それぞれの文献が何を伝えようとしているのかを考えてみたいと思います。
『古事記』に登場する阿邪訶と猿田彦大神
さらに興味深いことに、『古事記』にも「阿邪訶(あざか)」という地名が登場します。
天孫降臨の際、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の道案内を務めた猿田彦大神は、その後、伊勢国の阿邪訶で漁をしていたとき、比良夫貝(ひらぶがい)に手を挟まれて海に沈んだと記されています。
『古事記』では、猿田彦大神が海に沈むときの三つの御名が語られています。
- 底度久御魂(そこどくみたま):海底に沈んだときの御名
- 都夫多都御魂(つぶたつみたま):海中に泡が立ち上るときの御名
- 阿和佐久御魂(あわさくみたま):泡が水面で弾けるときの御名
これは新たに三柱の神が誕生したというより、猿田彦大神の三つの状態に、それぞれ御名が付けられた物語として読むことができます。
小阿坂町の阿射加神社では、この猿田彦大神に関わる三つの御魂の伝承も大切にされています。
一方、『倭姫命世記』や神社の由緒には、阿佐加の荒ぶる神を鎮める物語が残されています。
なぜ、天孫降臨で道案内をした猿田彦大神が、倭姫命の行く手を阻む荒ぶる神・伊豆速布留神と同一視されるのでしょうか。
これは、異なる時代に成立した伝承や、その土地に根ざした信仰が重なってきた可能性を考えるうえで、とても興味深い問題です。
ただし、『古事記』が伊豆速布留神と猿田彦大神を直接同一の神と記しているわけではありません。
また、古代の阿邪訶と現在の阿射加神社の鎮座地との関係についても、慎重に考える必要があります。
櫛田神社に残る倭姫命と大若子命の伝承
大若子命の足跡をたどるうえで、もう一つ欠かせないのが、松阪市櫛田町の櫛田神社です。
櫛田神社には、倭姫命が巡幸の途中で櫛を落とし、大若子命がそれを拾って差し上げたという伝承が残っています。
倭姫命は、この出来事にちなんで土地を「櫛田」と名付け、櫛田の社を定めたといいます。
『倭姫命世記』にも、倭姫命が大若子命に土地の名を尋ね、櫛田という地名が生まれる場面が記されています。
現在の櫛田神社では、大若子命が御祭神としてお祀りされています。
また、櫛の伝承にちなんだ「櫛まつり」も行われています。
倭姫命と大若子命の物語が、今も地域の祭りとして受け継がれているのです。
『ホツマツタヱ』三十六綾との比較
『ホツマツタヱ』三十六綾「ヤマト姫 神鎮む文」には、ヤマト姫がアマテル神の御霊を奉じ、伊勢へと向かう物語が描かれています。
この綾には、櫛田の地名に関わる話も登場します。
ただし、櫛を落とした人物や出来事の描写は、櫛田神社に伝わる由緒とは異なります。
『ホツマツタヱ』では、ヤマト姫の髪を結おうとしたウスメが櫛を落としたと語られています。
一方、櫛田神社の由緒では、倭姫命が櫛を落とし、大若子命が拾ったとされています。
同じ櫛田という土地の名前をめぐって、異なる物語が伝えられているのです。
なお、『ホツマツタヱ』における大若子命に相当する人物や、阿佐加の荒ぶる神との関係については、関連する綾の原文も含めて、さらに照合する必要があります。
『ホツマツタヱ』の成立年代や史料的評価には議論があるため、ここでは古代の出来事を証明する資料としてではなく、伊勢の伝承を比較するための一つの文献として紹介します。
大若子命と伊勢の古い信仰
大若子命の伝承を調べていると、倭姫命が伊勢の地へ至るまでには、多くの人々の働きがあったことを感じます。
倭姫命は天照大御神の御心に従い、鎮座地を求めました。
一方、大若子命は、土地の事情を知り、荒ぶる神を鎮め、倭姫命を支えた人物として語られています。
また、大若子命を祖先神とする度会氏は、後の伊勢神宮外宮の祭祀を担う氏族として知られています。
このことから、大若子命の伝承には、伊勢の土地に根ざした信仰と、神宮の祭祀を結びつける意味が込められているのかもしれません。
ただし、伝承に描かれる人物の活動を、そのまま古代の歴史的事実として受け取ることはできません。
神宮の成立をめぐる伝承と、後世の氏族や祭祀の歴史を区別しながら読み解くことが大切だと思います。
私が思うこと
四年前、私は松阪市の大阿坂町と小阿坂町にある二つの阿射加神社を、同じ日に訪ねました。
当時はまだ『ホツマツタヱ』を知らず、神社の由緒に登場する神々のつながりも、よく理解できていませんでした。
それでも、なぜかこの神社が気になり、参拝の様子を動画に残していました。
そして、参拝を終えて帰ろうとしていたときのことです。
宮司さんがわざわざ近づいてこられ、一枚の由緒書きを手渡してくださいました。
そこには、倭姫命の巡幸と、阿佐加の荒ぶる神を鎮めた大若子命の物語が記されていました。
当時の私には難しい内容でしたが、何か大切なことが書かれているように感じ、いただいた由緒書きを動画の中で読み上げ、記録に残しました。
それから四年。
『ホツマツタヱ』を読み、各地の神社を巡り、倭姫命について調べるうちに、大若子命という御神名に再び出会いました。
そして、四年前の映像を見直してみると、あの日、宮司さんからいただいた由緒書きの中に、今まさに知りたかった物語が残されていたのです。
特に心に残ったのは、大若子命が荒ぶる神を鎮めるため、贈り物を捧げてお祀りしたという伝承です。
神を鎮めるということは、力で押さえつけることだけではなく、その存在を認め、敬い、祀ることでもあったのでしょうか。
そう考えると、倭姫命が鎮座地を求めて歩いた物語も、また違った意味を持って見えてきます。
そして、天孫降臨の際に道案内をした猿田彦大神が、なぜ阿佐加の荒ぶる神と同一視されるようになったのでしょうか。
新たな疑問も生まれました。
神社を訪ねたときには分からなかったことが、何年も経ってから少しずつつながっていく。
あの日、由緒書きを手渡してくださった宮司さんに、改めて感謝したいと思います。
四年前の自分が残してくれた映像にも、今は感謝の気持ちでいっぱいです。
次は、猿田彦大神の物語を、もう少し深く読み解いてみたいと思います。
参考資料
- 『古事記』猿田毘古神に関する段
- 『日本書紀』神代下・垂仁天皇紀
- 『皇太神宮儀式帳』
- 『倭姫命世記』
- 『ホツマツタヱ』三十六綾「ヤマト姫 神鎮む文」
- 三重県神社庁「阿射加神社(大阿坂)」「櫛田神社(櫛田町)」
- 松阪市小阿坂町・阿射加神社境内社「大若子命神社」の由緒書(参拝時に宮司より拝受)
- 國學院大學 古典文化学事業『古事記』神名解説
※神社の創建や人物の活動に関する年代は伝承上のものです。また、文献の成立年代や記述の違いを踏まえ、史実として確認できる事項と伝承・考察を区別して紹介しています。
この記事のライター紹介
伊勢乃志摩子WEBデザイナー&カメラマン&ブロガー&ユーチューバー
住まい:三重県志摩市横山展望台から見える伊勢志摩国立公園の中
高校時代からの趣味は写真📷ウェブサイト制作歴 22年
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2016年 S・O・L・A・R・I・S始動
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