古事記・日本書紀の原書と言われる神代文字の1つ ヲシテ文字で書かれたホツマツタヱは
アメノミナカヌシの天地開闢、クニトコタチから第十二代景行天皇(ヤマトヲシロワケ)までの物語で元々は1~28アヤ(章)までがクシミカタマさんがいつかの未来のために自らが記した代々(よよ)の文です。それは当時 阿波宮と呼ばれていた香川県の金刀毘羅宮に保管していました。
残り29~40アヤ(章)まではヤマトタケの遺言により、父の景行天皇がヲヲタタネコに命じ編纂しまとめさせました。
その金刀毘羅宮には東京分社・尾張分社・鳥羽分社・神戸分社・出雲分社・松山分社の6分社があります。
梅の蕾が膨らみ始めた頃、鳥羽の金刀毘羅宮にお参りしてきました。
鳥居近くの石碑に
「讃岐・金刀毘羅宮 鳥羽分社」と刻まれています。
香川県の金刀毘羅宮でも”しあわせさん。こんぴらさん。”という”同じ看板を見かけました。
本殿にシンボルマークが。
勧請を願い鳥羽の樋ノ山に造られたそうです。
境内右手奥に進むと絶景が見られます。
鳥羽分社:所在地 三重県鳥羽市鳥羽2丁目12−20
その鳥羽分社から勧請を受けた賢島分社
100段余りの石段を登ると
御本殿です。
昭和5年に鎮座したと云われています。
賢島分社:所在地 三重県志摩市阿児町神明726−10
ホツマツタヱの前半が納められていた香川県の金刀毘羅宮
一昨年の11月に初めて参拝し、今回 二度目の訪問です。
大物主・クシミカタマ様のことを香川県の金刀毘羅宮の境内の様子とともに一本の動画にまとめました。
ぜひご視聴くださいませ。
YOUTUBE ホツマツタヱの神物語|ホツマツタヱ前半を記した大物主クシミカタマ様
この記事のライター紹介

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住まい:三重県志摩市横山展望台から見える伊勢志摩国立公園の中
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2000年 ウェブサイト制作事業スタート
2016年 S・O・L・A・R・I・S始動
コマーシャルフォト・ポートレイト撮影
アルバム、フォトブック、パンフレット、名刺など印刷物制作、動画制作、SNS指導もやってます。
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