志摩国分寺の由来
45代聖武天皇の勅願によって、奈良時代天平13年(741)に一国一寺、国ごとに僧寺(金光明四天王護国之寺)・尼寺(法華滅罪之寺)の二寺が国家の安泰、人民の幸せを願って県立されたのが国分寺である。志摩国分寺も県立された当時は厳然とした七堂伽藍もあり、八丁四方に及ぶ広大な面積を有し田の寺領も2町歩もあったといわれている。
その後、応仁の乱(1468)の兵火で初期の建造物・宝物は焼失した。現在の寺は天保7年(1836)に7年の歳月をかけて落慶されたものであり、彫刻と絵画の美徳にすぐれその技には感動させられる。
御本堂は薬師如来像であり、総高2M、桧材の寄木作り、室町末期(1527)に活躍した仏師(定栄)の作であり、秘仏として祀られているが、旧暦4月の閏年に(約20年に一回)開帳される。
◎昭和11年(1936)史跡国分寺跡・昭和37年(1962) 薬師如来座像・・・・三重県文化財指定

来週になれば、だんだん花がやせていくそうなのでいい時に行けました。
今日は空や緑の色もすっかり春らしくなっていたので
藤の花もすっごく綺麗で境内にはお寺の息子さんと私しかいなく
この綺麗な藤棚を独占してました^^





門の向こうには国府の海が見えています。
5/8(木)は花祭りがあるそうです。
境内が賑わっている様子が
伊勢志摩きらり千選に掲載されています。
この記事のライター紹介

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住まい:三重県志摩市横山展望台から見える伊勢志摩国立公園の中
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2016年 S・O・L・A・R・I・S始動
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