白真名鶴(しろまなづる)の伝説がその起源と伝えられる伊雑宮御田植祭(いざわのみやおたうえまつり)は、千葉の香取神社、大阪の住吉大社とともに日本三大御田植祭の1つに数えられ、磯部に初夏の到来を告げる。
勇壮な男達が大きな団扇のついた忌竹(いみだけ)を奪い合う竹取神事、古式ゆかしい装束に身を包んだ太鼓打ちや簓摺(ささらすり)らによる田楽が響きわたる中、白い着物に赤いたすきがけをした早乙女たちによって厳(おごそ)かに行われる御田植神事、その後、一の鳥居に向けて行われる踊込みと、祭りはいくつもの情景を私たちに見せてくれる。この神事が現在の形になったのは平安時代末期か鎌倉時代初めと伝えられており、より脈々と受け継がれてきた伝統と歴史の積み重ねに生まれた、(そうごん)な時代絵巻が繰り広げられる。(パンフレットより)
9時50分 降り続いていた雨もこの頃ようやく上り、世話人・役人・関係者の方たちは公民館の外へ出ました。


大口市長からのご挨拶

式三番を納めます。
そして伊雑宮へ移動し、伊雑宮一の鳥居内に整列します。
※伊雑宮
いざわのみやは、「いぞうぐう」ともいい、伊勢神宮内宮の別宮の中でもとりわけ高い格式を誇る。

白真名鶴(しろまなづる)の伝説
天照大神(あまてらすおおみかみ)にお供えする幸を求めて、倭姫命(やまとひめのみこと)の一行が訪れたとき、一羽の「白真名鶴」が見事な穂を落としたとされ、これを備えて造られた宮が現在の伊雑宮(いざわのみや)だと伝えられています。また、この白真名鶴の霊をまつった「佐見長神社(さみながじんじゃ)」は別名を「穂落宮(ほとしみや)」とも呼ばれ、人々に親しまれています。(パンフレットより)

修祓を受けます。
※修祓( しゅばつ )とはその身に纏った 罪 、けがれ を 祓い清める神事



一同で御正殿を参拝








そしていよいよ御祓いされた早苗が御神田に運ばれます。

引き続きまして
⑥早苗の奉下と苗取り
目次 □■□■□■□■□■□■□■□■□■
①磯部の御田植祭への道
②役人さんたちの化粧・着付けの場面 その1
③役人さんたちの化粧・着付けの場面 その2
④七度半の使い
⑤式三番 ~修祓
⑥早苗の奉下と苗取り
⑦竹取神事 stage1
⑧竹取神事 stage2
⑨御田植神事
⑩踊り込み
⑪千秋楽の舞
この記事のライター紹介

WEBデザイナー&カメラマン&ブロガー&ユーチューバー
住まい:三重県志摩市横山展望台から見える伊勢志摩国立公園の中
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2000年 ウェブサイト制作事業スタート
2016年 S・O・L・A・R・I・S始動
コマーシャルフォト・ポートレイト撮影
アルバム、フォトブック、パンフレット、名刺など印刷物制作、動画制作、SNS指導もやってます。
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