伊雑宮は古くから瀧原宮とともに「大御神の遥宮」と呼ばれ、天照大御神御魂(あまてらすおおみかみのみたま)がまつられています。
伊勢神宮の内宮を建立した倭姫命が神宮への神饌を奉納する御贄地(みにえどころ)を探して志摩国を訪れた際、伊佐波登美命が出迎えた当地を御贄地に選定して伊雑宮を建立したとされるという説。
伊雑宮の御神田は日本三大御田植祭として有名です。
伊雑宮
三重県志摩市磯部町上之郷374
Wikipedia|伊雑宮 https://bit.ly/2Tu5UMt
Wikipedia|磯部の御神田 https://bit.ly/2WYnYk5
伊勢神宮公式|伊雑宮 https://www.isejingu.or.jp/about/naiku/izawa.html
白真名鶴(しろまなづる)の伝説がその起源と伝えられる伊雑宮御田植祭(いざわのみやおたうえまつり)
天照大神(あまてらすおおみかみ)にお供えする幸を求めて、倭姫命(やまとひめのみこと)の一行が訪れたとき、一羽の「白真名鶴」が見事な穂を落としたとされ、これを備えて造られた宮が現在の伊雑宮(いざわのみや)だと伝えられています。
(平成28年6月24日(金) に開催された志摩市磯部の御神田(おみた)での場面です。)
<日記>
野鳥のさえずりと電車が走る音しか聞こえない静かな境内
参拝したあと御朱印をいただきました。
※新型コロナウイルス感染拡大防止対策として、引き続き御朱印帳への記帳は休止中で、6月1日からは御朱印紙(書き置き)お渡しでの対応ということです。
伊雑宮近くの案内板に「倭姫命の旧跡地」とあるのが気になり行ってみました。
秋葉堂・庚申堂には
伊佐波登美命(いざわとみのみこと)日本神話の夫婦の創造神 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)伊弉冉尊(いざなみのみこと)が祀られています。
青い案内板に記されているのは「伊佐波登美命(いざわとみのみこと)は倭姫命(やまとひめのみこと)に命ぜられ、伊雑宮を造営されたと伝えられています。」
大正12年に鏡楠の根元から発見された室町時代の白銅鏡2面が志摩市立歴史博物館に保管されているとのことです。
天井石の下から鏡や勾玉が出てきてこれは倭姫さんの遺蹟ではないかということになったという。
千田の御池(ちだのみいけ)
倭姫命がこの地で真名鶴が稲穂をくわえ飛び鳴くのを奇瑞となされ、稲を天照大神様に献ぜられ、この地に引水田と苗代を造られたという。この池を千田のみ池といい、今は十坪ほどの窪んだところとなっていて注連縄がめぐらせてある。(案内板より)
順路に導かれるまま、風呂屋の谷に立ち寄ってみました。
「昔は伊雑宮へ参拝する前に、清らかな水が湧き出るここで身を清めた場所だと伝えられています。」
すぐそばの民家から出てきたお婆さんに会釈をすると「もうよう世話せんわ・・」とおっしゃいました。その一言にここの長い歴史を感じました。
お話聞いてみたかったな・・・。
伊雑宮は御田植祭のときに参拝していましたが、こんなふうに神話に想いを馳せながら、ゆっくりと1人で歩く落ち着いた時間。
もっと深く知りたい。そんな気持ちがいっそう深まります。
伊雑宮については、倭姫命世紀に垂仁天皇27年秋、一羽の真名鶴が稲穂を落とし全国に稲作が広まり、伊雑宮を創建したという神話が出ています。
また、別の記録では古くから大神の遥宮として祭られており、今も皇大神宮の別宮として全国各地から大勢の方々が参拝に訪れています。
上之郷は伊雑宮の鎮座地として発展し、現在まで時代とともに変化する中で、残された貴重な文化財を継承しています。
この記事のライター紹介
伊勢乃志摩子WEBデザイナー&カメラマン&ブロガー&ユーチューバー
住まい:三重県志摩市横山展望台から見える伊勢志摩国立公園の中
高校時代からの趣味は写真📷ウェブサイト制作歴 22年
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2000年 ウェブサイト制作事業スタート
2016年 S・O・L・A・R・I・S始動
コマーシャルフォト・ポートレイト撮影
アルバム、フォトブック、パンフレット、名刺など印刷物制作、動画制作、SNS指導もやってます。
気まぐれに地域情報を投稿しています。
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